大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和41年(ワ)4197号 判決 1968年3月12日

原告

武田憲道

武田誠

右両名訴訟代理人

滝井繁男

被告

日本通運株式会社

右訴訟代理人

西川晋一

主文

一、被告は、原告武田憲道に対し金一、四九〇、一九〇円、原告武田誠に対し金一、四一一、七五二円、及び右各金員に対する昭和四二年一月一日から右各支払済迄年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求はいずれもこれを棄却する。

三、訴訟費用はこれを三分し、その一を原告らの連帯負担とし、その余を被告の負担とする。

四、この判決第一項は仮りに執行することができる。

五、但し、被告において、原告らに対し各一、一〇〇、〇〇〇円宛の各担保を供するときは、右仮執行を免れることが出来る。

第一 申立

被告は、原告武田憲道に対し二、六七三、九三九円、原告武田誠に対し二、四五六、二〇六円、及び右各金員に対する昭和四二年一月一日から支払済迄年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言。

第二 争いのない事実

一、本件交通事故発生

発生時 昭和四一年四月一六日午後四時五分頃(天候晴)

発生場所 門真市元町二番地一五号先路上

事故車 大型貨物自動車 兵一あ〇三一六号

右運転者 竹中一三

死亡者 武田幸子

態  様 前記道路上を北進してきた事故車が、同路を東側から西側へ横断していた武田幸子に接触、轢過し、よつて同女は同日死亡した。

二、事故車の運行供用と竹中一三の雇傭関係

被告は事故車を所有し、竹中一三を運転手として雇傭していたところ、本件事故当時竹中は事故車を被告の業務のため運行していた。

三、幸子と原告らの身分関係

原告らは幸子の両親である。

四、損害填補

原告らは、興亜火災海上保険株式会社から自動車損害賠償保障法に基づく保険金(以下自賠保険金という)として原告憲道につき五〇九、二〇八円、原告誠につき五〇〇、〇〇〇円原告憲道は被告から葬儀費用の一部弁済として一〇〇、〇〇〇円の各支払を受けた。

第三 争点

(原告らの主張)

一、幸子の得べかりし利益の喪失

幸子は昭和三七年六月九日生れの女子で本件事故による死亡当時満三才であり、又大阪商工会議所作成の一九六五年度「大阪の賃金白書」によれば高等学校卒業女子事務員の平均初任給は一七、〇六四円で一年平均九七〇円昇給するから、幸子は本件事故にあわなければ高等学校卒業後昭和五五年四月から事務員として勤務を始め、初年度一ケ月一七、〇六四円の給与を得、その後毎年九七〇円宛昇給して、満五五才に達する昭和九二年五月迄稼働を継続することが出来、同女の生活費は右各所得の五〇パーセントを超えない筈であるから、同女は右稼働期間中毎年当該年度の所得の五〇パーセントの純益を得ることができた筈であり、右期間中の得べかりし利益からホフマン式計算により年毎に年五分の割合による中間利息を控除してその現価を算定すると、二、九一二、四一二円となり幸子は右同額の損害を受けた。

二、原告らの相続

原告らは幸子との前記身分関係に基づき、幸子の被告に対する右損害賠償請求権を各二分の一宛相続により承継した。

三、原告らの損害

(一) 原告憲道の財産的損害

(イ) 医療費及び診断書費

幸子の医療費として、九、二〇八円、診断書費として一、一〇〇円、合計一〇、三〇八円を支出した。

(ロ) 葬祭費用

幸子の葬儀費用として一三一、八三三円、追善費用として一七、八〇〇円、仏壇費用として六七、〇〇〇円、合計二一六、六三三円を支出した。

(ハ) 弁護士費用

大阪弁護士会所属弁護士滝井繁男に対し本件訴訟追行を委任し、一〇〇、〇〇〇円を支払つた。

(ニ) 原告らの慰藉料

本件事故は事故車運転者竹中の過失のみに基づいて発生したものであり、幸子は本件事故当時三才一〇月で漸く親の最も手のかかる時期をすぎた可愛い盛りであり又極めて聡明であつたのに、原告らはその将来に大きな期待を抱いていた同女を失い、筆舌に尽し難い程の精神的苦痛を受け、事故現場が自宅直近の地点であつたため少しでも精神的苦痛を少くしようとして転居した程である。又幸子の得べかりし利益の算定も少なめであることも慰藉料算定上考慮されるべきであるから、原告らに対する慰藉料は各一、五〇〇、〇〇〇円宛を相当とする。

四、本訴請求

以上により、被告に対し、自動車損害賠償保障法三条本文に基づき、原告憲道は承継分として右二の一、四五六、二〇六円及び固有の損害金中右三(一)(ロ)については被告から弁済を受けた前記一〇〇、〇〇〇円を控除した残額と同三(イ)(ハ)及び(ニ)との合計三、一八三、一四七円から前記自賠保険金五〇九、二〇八円を控除した残額二、六七三、九三九円、原告誠は承継分として右二の一、四五六、二〇六円及び固有の損害金である同三(ニ)との合計二、九五六、二〇六円から前記自賠保険金五〇〇、〇〇〇円を控除した残額二、四五六、二〇六円、並びに右各金員に対する損害発生後である昭和四二年一月一日から各支払済迄年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

五、被告の運転者無過失の主張に対する反論

本件現場は見通しのよい道路であり、事故車運転者竹中は遠方より幸子が道路東側の広場で遊んでいるのを認めていたのであるから、幸子が道路に飛び出してくることを予想し道路左側を徐行すべきであつたのに、このような危険を予想せずに時速四〇粁以上の速度で進行し道路左側を進行しなかつたため本件事故の発生を見たものである。

また、幸子が遊んでいた場所は公園予定地の広場で、附近には適当な遊園地もなく、幸子は右広場から道路を隔てた自宅に帰ろうとして本件事故にあつたのであるから、原告らには、本件事故発生につき何らの過失もない。

(被告の主張)

一、運行者免責

本件現場は南北に通ずる平坦路でアスファルト舗装がされてあり、車道の幅員五、七五米、道路西側にある歩道は幅員三、三三米で人通りは稀であり、東側は道路面から一段低くなつており本件道路に沿つた陸橋のコンクリート脚がある外見通しはよく、本件事故当時は後記三叉路から本件現場迄の間に東に通じる路及び金網の柵はなかつたもので、右陸橋北端のコンクリート脚部の南側には同脚に接して、数台の車輛が西向きに駐車しマツダ軽四輪一台が道路東端に北向に駐車していた。

竹中一三は事故車を運転し本件道路の南方約一一五米の地点にある三叉路から本件道路に入つて北進して来たが、初めて通る道路であつたため三叉路で一旦停止し、時速約二〇ないし二五粁の速度で進行して来て前記マツダ軽四輪車と平行に並んだ態勢となつた瞬間、幸子が右マツダ軽四輪の前部の方(北側)から突然飛び出してきたので、直ちに急制動及び左転把の措置を採つたが及ばず事故車の後車輪で同女を轢過したものであるが、本件現場附近には遠方に工事に従事していた人夫二人の外は人影はなかつたのであるから、竹中において幸子が右の如く軽四輪車の前から飛び出して来るのを予測することは不可能であつて、本件事故は自動車の陰から突然飛び出して来た幸子並びに同女の右の如き行動を放任していた同女の監督義務者である原告らの過失によつて生じたものであるから、竹中には事故車運転上の故意、過失なく、又事故車には構造並びに機能の欠陥、障害はなかつた。

二、損益相殺

仮りに被告の免責の主張が認められないとしても、原告両名は幸子の死亡により、同子の扶養義務者として同女が生存したならばその高校卒業迄支払うべきその扶養費(教育費を含む)の支払を免れたのであるから、賠償額より右扶養費を控除すべきである。そこで生活費は昭和四一年四月から昭和五五年三月末日迄約一三年一一ケ月間約八、〇〇〇円宛を下らないから右期間中の生活費からホフマン式計算により月毎に年五分の割合による中間利息を控除してその現価を算定すると一、〇一〇、〇〇〇円となり、教育費は、幼稚園二年間で約二〇、〇〇〇円、小学校六年間で約一二〇、〇〇〇円、中学校三年間で約八〇、〇〇〇円、高等学校三年間で約一五〇、〇〇〇円、合計約三七〇、〇〇〇円は下らないから、その中間利息を控除しても少くとも二〇〇、〇〇〇円は下らないから、控除すべき扶養費は合計一、二〇〇、〇〇〇円を下らない。

三、過失相殺

仮りに前記一の免責が認められないとしても、幸子並びに原告らには前記一の如き過失があつたから、損害額算定につきこれを斛酌すべきである。

四、幸子の得べかりし利益に対する反論

(一) 通常の女性であれば二五才迄に結婚し、結婚の前後に退職して家事労働に従事するのが通常であるから、幸子も二五才迄しか就労しなかつた筈である。

(二) 原告憲道は本件事故当時三四才位であるから同原告誠は事故当時三〇才位でその平均余命は約四三才であるから、原告両名が幸子が満五五才になる前月の昭和九二年五月迄生存して同女を相続することは不可能である。

(三) 幸子は前述の如く遅くとも二五才迄に結婚した筈で、結婚すれば同女の子が出生して同女死亡の場合にはその子が同女を相続するのが通常であつて、原告らが同女を相続することはあり得ない。

第四 証拠<省略>

第五 争点に対する判断

一、被告の責任原因

被告は第二の二の事実に基づき、事故車の運行者に該当することが明らかである。

二、被告の運行者免責の抗弁に対する判断

(一) 本件現場の状況

<証拠>によれば、本件道路は本件現場から約一一〇米南方の東西路から北方に通ずる平坦路でアスファルト舗装がされてあり、車道の幅員五・七五米、道路西側にある歩道の幅員は三・三三米で当時歩行者はいなかつたこと、道路東側は道路面から一段低くなつており本件道路に沿つて設置されている陸橋のコンクリート脚があるのが見通しは利くこと、本件事故当時は前記三叉路から本件現場迄の間に東に通ずる路及び道路東端の金網の柵はなく、右陸橋北端のコンクリート脚部の南側には同脚に接して、陸橋下に数台の車輛が駐車し本件道路東端にマツダ軽四輪車一台が駐車しており、原告らの住居は陸橋北端脚の向い側道路西側にあつたこと、事故車のタイヤは前輪が一個宛、後輪が二個宛であることが認められる。

(二) 事故車の走行状況

<証拠>を綜合すれば、竹中は前記東西路から本件道路に進入する際一旦停止し、本件道路を時速約二五粁で北進してきて右マツダ軽四輪車附近に達した時、前方約四米のマツダ軽四輪と陸橋北端脚の間から幸子が本件路上に走り出てきたので突嗟に左転把並びに急停止の措置を採つたが同女が停止しなかつたため事故車の後輪で同女を轢過したものであるが、当時附近には本件現場から約一五米のところで工事していた人夫二人の外は認められず、右以前に幸子を発見することは不可能であつたと認められるもののようである。

しかし<証拠>によれば、本件現場附近には遊園地がなかつたため近隣の子供らは現場附近の陸橋下を遊び場としていたこと、竹中は前記東西路から本件道路に入つた頃事故車に助手として同乗していた柿田広己から子供が隆橋の下あたりにいると注意を受けたこと、幸子の身体及び着衣に残つていたタイヤ跡は一本であつたことが認められるので、これら事実と<証拠>及び前記(一)の事実を併せ考えると、竹中は事故車を運転して本件現場に差しかかつた際、現場附近陸橋下で遊んでいた幸子を認識しながら同女の動静を注視せずに進行したため、同女が自宅に帰るため駐車車輛の間から本件路上に走り出てきたのを発見した時は既に遅く左転把並びに急停止の措置も及ばず事故車前輪で同女の大腿骨のあたりを轢過したものではないかと疑われ、そして他に、この疑いを払拭し竹中に事故車運転上の過失がなかつたと認めるに足りる証拠はないので、被告はその余の判断をする迄もなく事故車の運行者として損害賠償義務を免れない。

三、幸子の損害

(一) <証拠>によれば、幸子は本件事故当時満三才一〇ケ月(従つて昭和三七年六月生れ)の普通健康体の正常な女子であり、幸子の父親である原告憲道は京都大学教育学部卒業後豊中市教育委員会に勤める教育公務員であることが認められ、右事実と昭和四一年簡易生命表によれば満三才の普通健康体の女子平均余命年数は七二・〇四年であり、厚生省大臣官房統計調査部編人口動態統計によれば昭和三七年度の女子の平均初婚年令は二四・五才であることを併せ考えると、幸子は本件事故にあわなければ七二才迄生存し、少くとも高等学校を卒業してその後事務員として勤務を始め、遅くとも二五才に達する迄に結婚したのであろうと推認される。

ところで一般に女子は結婚と前後して退職し、主婦として家事労働に従事するのが経験則上今なお通常とするのを相当とするから(第一七回日本統計年鑑五九頁参照)、特別の事情の認められない本件においては幸子の事務員としての稼働期間は結婚迄であると認めるのが相当である。

(二) 原告らは、幸子は二五才以降も事務員として勤務を継続するものとして同女の得べかりし利益喪失による損害を請求しているが、右認定によれば幸子の得べかりし利益喪失による損害は二五才に達する迄のものしか認められない。

すなわち、従来の判例における伝統的な考え方によれば、得べかりし利益とは、被害者が被害当時現に有していたか又は将来取得することが出来た筈の収入を意味するのであるから、幸子が主婦として家事労働に専従すると推認される二五才以降については、その得べかりし利益を肯認することは出来ないのである。

しかし、人間が死亡または傷害により稼働能力の全部または一部を喪失した場合には、その能力喪失自体を損害とみてこれに対する賠償を認めるべきものであり、従来の判例が右の場合に得べかりし利益喪失による損害の賠償を認めてきたのも、右稼働能力喪失自体の損害を評価する一方法にすぎず、したがつて稼働能力喪失自体の損害を評価するにあたり右の方法が採用できない場合には、これに代わる方法を採用することが許されるものと解するのが相当である。そして本件において原告らは、幸子が死亡により稼働能力を全部喪失したことによる損害を主張するにあたり、事務員としての勤務継続を仮定し、その得べかりし利益喪失による損害という方法を採つたにすぎないと解すべきであるから、前記のような得べかりし利益概念に従うかぎりその評価が出来ない二五才以降における稼働能力喪失自体の損害につき、その他の評価方法を採用しても弁論主義に反するものではない。

そこで、幸子が結婚し主婦に専従する同女の二五才以降の損害について考察すると、女子は結婚したことによつて稼働能力自体をも失うものではなく、いつでも必要に応じ自己の意思によつて稼働能力を働かせ賃金等の収益を得ることが出来るものであるから、主婦が生命を侵害された場合にはこのような稼働能力自体を失なつたことによる財産的損害を受けるものと認められる。このような稼働能力自体の算定は、被害者の受けた教育、技能、健康状態等諸般の事情を綜合考慮してなすべきであるが、幼女の場合にはこれを算定する何らの手掛りもないので、稼働能力の対価というべき賃金の統計上の平均値を利用して損害の算定をするのも現状ではやむを得ない。

そして幸子の前記健康状態及び余命からすれば少なくとも五五才迄稼働し得たものと推認される。

(三) 損害額の算定

(1) 幸子の一八才から二五才に達する迄の損害

<証拠>によれば、大阪府下及びこれと同一経済圏にある尼崎市における昭和四〇年度の高校卒業女子事務員の商業における平均初任給は一七、〇六四円で毎年九七〇円宛昇給することが認められ、前記の如き原告憲道の勤務先からすれば幸子も大阪府下で就職したであろうと推認され、又幸子は前記の如く正常な発育状態にあつたことからすればその初任給は右平均初任給を下ることはないと認められるので、幸子は一八才で就職し初任給一七、〇六四円を得る二五才に達する迄毎年一ケ月九七〇円宛昇給するものと認められるところ、同女の生活費は原告らの自認する五〇パーセントを超えないと認められるので、毎月収入の半額の純収益を得ることが出来た筈であるから、右収益からホフマン式計算により年毎に年五分の割合による中間利息を控除してその現価を算定すると別紙損害算定表記載の如く四四〇、四六九円となる(円未満切捨以下同じ)

(2) 幸子の二五才から五五才に達する迄の損害

幸子が結婚後も大阪府下ないし尼崎市に定住することを認めるに足る証拠はないので、同女の結婚後の稼働能力喪失自体による損害算定につき甲一三号証を資料とすることは出来ない。

しかし総理府統計局編第一七回日本統計年鑑「年令階級、産業および企業規模別給与額」によれば、昭和四〇年度女子労働者全国全産業平均年令別月間賃金は、二五才から二九才迄が二〇、〇〇〇円、三〇才から三四才迄が二〇、九〇〇円、三五才から三九才迄が二〇、八〇〇円、四〇才から四九才迄が二〇、一〇〇円、五〇才から五九才迄が二〇、二〇〇円であることが認められる。

ところで昇給は継続勤務によるものであるが、主婦専業者が途中から再就職してもその初任給は主婦に専業していた期間を継続勤務していたものと見做して通算して定められる訳ではないから、主婦の稼働能力喪失につき前記(二)の如き見解に従う以上、昇給を開始すべき時間が不確定であるばかりでなく、昇給の割合を認めるに足りる証拠もない。そこで幸子の二五才から五五才迄の稼働能力自体の喪失による損害については昇給を考慮せず定額となるが、幸子の前記学歴、健康状態からすれば、前記平均年令別月間賃金のうち最低である二五才から二九才迄の二〇、〇〇〇円を下ることはないものと認められるから、幸子は二五才から五五才迄毎月二〇、〇〇〇円の収入を得ることのできる能力を失い、それに相当する損害を受けたものというべきところ、その生活費は原告らの自認する五〇パーセントを超えないものと認められるので、結局毎月一〇、〇〇〇円に相当する純損害を受けたことになるから、その損害額からホフマン式計算により年毎に年五分の割合による中間利息を控除してその現価を算定すると

(算式)(年間純益)(五二年間のホフマン係数 二一年間のホフマン係数)

一二〇、〇〇〇×(二五・二六一四−一四・一〇三八)=一、三三八、九一二円となること明らかである。

よつて幸子は右(1)(2)の合計一、七七九、三八一円の得べかりし利益を失なつたものと認められる。

(四) 被告の損益相殺の抗弁に対する判断

被告は、原告らが幸子の死亡により、同女の扶養費(教育費を含む)の支払を免れたのであるから、幸子の前記損害賠償から右扶養費を控除すべきであると主張するが、損益相殺により差引かれるべき利得は、被害者本人に生じたものでなければならないと解されるところ、右損害賠償請求権は被害者本人について発生したものであり、所論の如き利得は被害者本人に生じたものでないこと明らかであるからであるから、右損害賠償請求権から控除するいわれはないものと言うべきであり、被告の右抗弁は採用し難い。

(五) 原告らの相続による承継

原告憲道本人尋問の結果によれば、原告らは幸子の両親として、同女の死亡により前記(三)の幸子の被告に対する損害賠償請求権を各二分の一(八八九、六九〇円)宛相続により承継したことが認められる。

被告の、原告らは幸子を相続して同女の逸失利益の損害賠償請求権を承継出来ない筈であるとの主張については、幸子の前示(三)の被告に対する損害賠償請求権は、同女が本件事故によつて死亡したため事故時に取得したもので、従つて幸子の事故時の相続人である原告らが同女を相続し且つ同女の被告に対する右損害賠償請求権を承継したものであるから、被告の右主張は失当として採用し難い。

四、原告らの損害

(一) 原告憲道の財産的損害

(イ) 医療費及び診断書費

<証拠>によれば、原告憲道は幸子の措置料及び死亡診断書費として合計一〇、三〇八円を支出したことが認められる。

(ロ) 葬祭費用

<証拠>によれば、原告憲道は幸子の葬儀費用として九〇、七五〇円、仏壇購入費として六七、〇〇〇円を支出したことが認められるが、仏壇は幸子の祭祀の用にすると共に原告憲道及び原告らの子らにおいて祖先の祭祀の用にも供し得るものであるから、その意味において原告憲道は右費用支出の反面一種の利益を得ているものと言うべく、従つて仏壇購入費のうち被告に対し損害として賠償を求め得べきものはその五〇パーセントに相当する三三、五〇〇円と認められるのが相当であると考えられる。

よつて原告憲道が賠償を求め得る葬祭費用は合計一二四、二五〇円と認められる。

(ハ) 弁護士費用

原告憲道本人尋問の結果によれば、原告憲道は大阪弁護士会所属弁護士滝井繁男に対し本件訴訟追行を委任し一〇〇、〇〇〇円を支払つたことが認められるが、本件事案の内容、審理の経過、認容すべき損害額及び当裁判所に顕著な大阪弁護士会の報酬規定に照らすと、被告に対し弁護士費用として賠償を求め得べき額は一〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認められる。

(ニ) 原告らの慰藉料

前記の如く原告らは幸子の両親であり、本件事故の態様、幸子の年令及び原告憲道本人の供述によつて認められる本件現場が当時の原告らの住居の直近であつたため原告らは悲嘆の余り事故後他に転居した事実並びに本件全証拠によつて認められる諸般の事情を斟酌すれば、原告らに対する慰藉料は各一、五〇〇、〇〇〇円宛をもつて相当と認める。

五、過失相殺

<証拠>によれば、幸子が陸橋北端に駐車していたマツダ軽四輪車と陸橋北端脚の間から道路西側の自宅に帰ろうとして道路上に突然走り出たことが本件事故の一因であると認められるところ、幸子は前示の如く三才一〇ケ月にすぎなかつたのであるから事理弁識の能力を備えなかつたものと認めるのを相当とすべく、従つて同女に過失があつたものとは言い得ないが、原告憲道本人の供述によれば幸子は平素陸橋下で遊んでおり事故当日も六才四ケ月(小学校一年生)の同女の兄と陸橋下に行つたが事故当時は兄と離れて単身道路を横断しようとしていたことが認められるので、保護者たる者は事理弁識の能力を有しない幸子が単身若くは道路を横断するについての危険を充分弁識する程度の能力を有しない同女の兄とだけで道路上に出若くは道路を横断することのないよう監督すべき義務があつたにも拘らず幸子の両親としてその保護者と認められる原告らにおいてその義務を尽したものとは認められないので、被害者側にも本件事故発生につき過失があつたものと言わざるを得ない。

そこで原告らの右過失の程度を勘案すれば、幸子及び原告らの損害についてその二〇パーセントを過失相殺すべく、被告が原告らに対して賠償すべき損害額は前記三につき一、四二三、五〇五円、四(一)(イ)につき八、二四六円、四(一)(ロ)につき九九、四〇〇円、四(一)(ハ)につき八〇、〇〇〇円、四(ハ)につき、一、二〇〇、〇〇〇円宛をもつて相当と認められる、

六、以上により、原告らの本訴請求は、原告憲道が幸子から相続した第五の三(但し同五で過失相殺した額)の二分の一の七一一、七五二円と同四(一)(イ)(ロ)(ハ)及び(二)(但しいずれも同五で過失相殺した額)の合計一、三八七、六四六円との総計二、〇九九、三九八円から第二の四の自賠保険金五〇九、二〇八円と弁済金一〇〇、〇〇〇円の合計六〇、九二〇八円を控除した残額一、四九〇、一九〇円原告誠が幸子から相続した第五の三(但し同五で過失相殺した額)の二分の一の七一一、七五二円と同四(二)(但し同五で過失相殺した額)の合計一、九一一、七五二円から第二の四の自賠保険金五〇〇、〇〇〇円を控除した残額一、四一一、七五二円、及び右各金員に対する本件不法行為による損害発生の日の後であること明らかな昭和四二年一月一日から右各支払済迄年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で正当として認容し、原告らのその余の請求をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行並びに同免脱の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。(亀井左取 谷水央 大喜多啓光)

損害算定表

(幸子の15才から25才に達する迄の分)

幸子の年令

年収   生活費   ホフマン係数

18才

(204,768~102,384)×0.5714=58,502

19才

(216,408~108,204)×0.5555=60,107

20才

(228,048~114,024)×0.5405=61,629

21才

(230,688~119,844)×0.5263=63,073

22才

(251,328~125,664)×0.5128=64,440

23才

(262,968~131,484)×0.5000=65,742

24才

(274,608~137,304)×0.4878=66,976

合計

440,469

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例